ゴッホ展へ行ってきました
美術館第二弾、ということでゴッホ展へ行った。
一昨日のコートールド美術館展の記憶が新しいまま見ることができたのがよかった。
ゴッホ展は、ゴッホの絵画が時系列で並べられているだけではない。
絵画と同時期にゴッホが友人や弟とやり取りしていた書面と一緒に掲載されていたり、ゴッホが影響を受けた画家の絵画も展示されていたりと、ゴッホへの理解が深まる展示になっていた。
ゴッホの、初期の絵を見てまず驚いたのは、その平凡さだ。
芸術のなんたるかが分かっていない私が言うのも本当におこがましいが、あまりに平坦で乱雑。
勉強を重ね、画家仲間に技術を教わり、自身のこだわりの主題も見つけていくものの、
様々な画家に影響されることを繰り返すため、画風には揺れが見える。
その揺れの幅の大きさには、ゴッホの絵への信念以上に、焦りや見栄といったものが見え隠れする。
友人のラッパルトに、「ジャガイモを食べる人々」を「動き(の表現の仕方)を勉強したらどうだ?」と酷評された際も、自分のこだわりのポイントなどを言い返すのではなく、「時間がなかったのにこれだけの手間をかけたんだ」という反論をしているところにも、自身のなさが表れている。
今日ゴッホをちょいかじりしただけマンのただの感想だが、ゴッホには、静的な物を、そこに打ち付けてとどまらせるかのように描く筆運びという強みがあると思う。
それなのに、ラッパルトに言われっぱなしになってしまったのは、もしかすると自分の強みを理解することもままならなかったからなのかもしれない。
やがて、ゴッホは精神病(展示の原文ママ。英語版ではpsychological breakだったかな…?)にかかり、療養院で療養したという。
それと同時に、画家の友人との関わりが少なくなった。
そこから、ゴッホの画風の揺れは少なくなり、あの糸杉で有名な画風に収束していく。
私の感想だが、人と比べることを辞めてようやくゴッホは自己実現できたのではないだろうか。
今回の展覧会の絵の数々から、彼がしんどい人生を送ったのだということは容易に想像がついたが、自己実現で生涯を締めくくることができたことを推察し、勝手に安心した。
それに、画家の性格を念頭に絵を鑑賞するとより深く絵を理解できるような気がしたので、今後勉強する際はその方面の情報収集にも力を入れたい。
(常に、確証バイアスに陥らないようフラットであることを心掛けつつ…。)