自分の価値

自分で自分の価値を認識すると言うのは、すごく難しい。

 

自分は、何か客観的に見て分かる成果を上げることで、その難しい作業を何とかこなすようにしてきたのだと思う。

そのことには全く自覚的ではなく、むしろそれをし続けてきたからこそ、勝手に「自分は自己肯定感の高い人間だ」と感じてきた。

しかし、反対に言えば、何も成果が上がらないときや成果につながる行動ができていないとき、どうしようもなく自分が無価値な人間に思えてくる。

これは、広く深い海の中で必死に泳ぎ続けているみたいだ(泳げないのだが…)。

泳がなければ沈むけれども、このまま永遠に泳ぎ続けることができるのだろうかと不安になる。

 

最近自分の中で頑張ってきた一つの仕事を終え、燃え尽きているだけなのかもしれないが、今すごくそのフェーズにいる。

確かに、過去にも大変な課題を終えた後にやることが急になくなると「もっとくれ」という気持ちになっていたことがあることにも思い当たった。

 

正直、また別のやるべきことを見つけて、またそこで泳ぎ続けることを選択するのは、それはそれでありなのかもしれない。

一度うまくいき始めてしまえば、そのあとは常に自分が成果をあげられるフィールドを選び続ければいいからである(実際にそうやって生きてきた人間である)。

 

しかし、ここで考えを改めればもしかすると生きやすくなるのかもしれないと思う。

自身の評価を気にしすぎる特徴がこの考え方の根源にあり、そしてこの特徴は私の中で様々な悪いことをずっと引き起こし続けてきた(もちろん、単に「評価が気になる」ことによって人よりも自分を律することに長けているなどのメリットが見えていないわけではない)。

 

Twitterや対面で人に相談してみると、無意識に自分の価値を認めることができている人が多いように思った。

また、人権があることをもって・経済をまわしていることをもって・(解釈するに)死と比較して、生きているだけで価値があると言っている人もいた。

この三つは、人一般について言及しているという点で共通している。

しかし私は、他者の価値を肯定するのと同じ条件で自分を認めることはできないと思っている(それがこの問題の一番難しいところだと思う)。

 

これは構想だが、何もせず部屋に転がっている状態の私が生み出しているものについて考えて覚えておくということはアリかもしれない。(?)

思考の途中ではあるが、とりあえず考えたところまで。